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feel dizzy

ichinicsの主にマンガ日記

「WHITE NOTE PAD」(完結)/ヤマシタトモコ

女子高生「葉菜」と中年男性「木根」の身体と心が入れ替わる、というところからはじまるお話。
今年は同じ男女入れ替わりもの作品でもある「君の名は。」が大ヒットしましたが、その感想として多くの人が挙げているポイントに、入れ替わっているときの声の演技がすごい、ということがあると思います。
この「WHITE NOTE PAD」は、それを「表情」を描くことでやっているような気がする。入れ替わる前のことはあまり描かれていないけど、その表情から、かつての身体でその表情を浮かべているその人が見えるような気がする。
ぱらぱら見返してても、あ、この顔好き、って思うところがたくさんある作品。

1巻では若くて美しい女子高生の身体を手に入れた「木根」がそのことを『強くてニューゲーム』と称する場面が印象的だった。対する「葉菜」は元来の内気な性格のまま、なんとか日々を歩み始める。
しかし2巻に入ると、2人の関係が変化しはじめる。「見た目」で人生が変わってしまったことを受け入れつつあり、恋とかしたかった自分は「もういない」という葉菜。
その言葉を聴いた木根は、彼女のなりたかった彼女になってやりたい、と言う。
変化を恐れない「葉菜」と変化を恐れる「木根」。

見た目の自分と中身の自分が混ざり合って、相手を分身のように感じる、というその構図を、もちろん体験したことはないのに、読み進めていると実感できるような気持ちになっていく。
それは、物語を自分の中に取り込むということと、少しは似ているのかもしれない。
木根の方に年が近い自分としては、葉菜の若さが眩しくもあり、同時に、この物語に描かれているものが希望だと思うこともできる。

どれだけ他人と混ざり合っても、見た目が変わっても、やはり自分は自分でしかない。自分が自分であるという証明は自分にしかできない。誰にとっても、未来はまっさら。
そういう話だと思いました。

しかし同時期に完結した「花井沢町公民館便り」もこの「WHITE NOTE PAD」も、誰も経験したことのないはずの設定ながら、読んでいるうちに引きずられて「自分だったらどうするか」と想像してしまうのが本当に面白かった。
ヤマシタさんこの時期連載3本あったはずなのに本当にすごい。好きです。

「花井沢町公民館便り」(完)/ヤマシタトモコ

2055年、シェルター技術の開発事故に巻き込まれ、生命体の出入りができなくなってしまった小さな町、花井沢町を舞台に描かれる連作短編シリーズ、完結巻です。

各話タイトルが「公民館の前」で撮られた写真(?)になっているのだけど、定点観測であるからこそ、人が出入りしない町が朽ちていく様子がありありと映し出されてしまっている。
公民館が比較的きれいである間は、閉ざされた中でも希望をもって生きている人のお話が多いのだけど、この完結巻では1巻第1話から連続して描かれている「希」という女の子が最後の一人になるときが描かれている。

【以下内容に触れています】

最後の一人になったことと、町内の建物に倒壊の恐れがある、ということで、最終話では、希のために無人ロボットを使って家を建てるという案が持ち上がる。
希の恋人であり「外」の人間でもある総一郎と一緒に暮らすことが可能になり、それは希望のある話にも見えるのだけど、
境界の外にいる、自由な人間の生活を目の当たりにすることはやはり残酷で、つまり隔離された生活の不自由さや行動を制限されること以上に辛いことを知ってしまった瞬間でもあったのだと思った。
変化していく町の姿は「これ以上変化できない」という辛さでもある。
最終巻になってようやく描かれる、それが起きる直前に、町の外で「花井沢出たいんだよねまじ」と語っている女の子の様子など、まるでエンドロールを見ているかのようなとりかえしのつかなさがあって、
最終話まで読み終えた後に1巻を読み返してみて、1話の時点で予言されていたことを思い出し、本当に丁寧に組み上げられた物語だなと感じました。

しんどいお話でしたが、巻末の2ページ漫画にそれを描く、というのが作者らしいな、と思った。

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昭和元禄落語心中(完結)/雲田はるこ

明るく憎めない元ヤクザの主人公が落語家に弟子入りするお話。その現代パートと師匠である八雲の過去パートが併走するような構成になっていて、全10巻を追いかけている間とても楽しかったです。

昭和元禄落語心中(10)<完> (KCx)

昭和元禄落語心中(10)<完> (KCx)

落語心中は2015年にアニメ化もされましたが、これもとてもよかった。何しろ主演が石田彰山寺宏一、そして関智一林原めぐみ…! 
とりわけ現在の八雲と過去の八雲(菊比古)を演じ分ける石田彰は、年老いた声と若い声、そしてその両者に共通する色気がすさまじく、もともと好きな声優さんではあるのですが、よくぞこの役をやってくれたと毎回、石田彰に対する感謝と敬意でいっぱいでした。
それから、たっぷり落語を聞かせてくれる演出も、私のような落語初心者にはとても嬉しかったです。
1期の終盤、ああこの話すごくいいな、と思ったものがかの有名な「芝浜」で、たしかその芝浜きっかけで落語にいってみようと思い立ち、渋谷らくごに行ったりもしました。
ichinics.hatenadiary.com
最終回の巻末には渋谷らくごについてのエッセイコミックもついています。
そうやって、物語に新しいものをしるチャンスをもらえるってすごくありがたいことだ。

完結巻には、芸に生きた人の業ともいえるような世界が広がっていて、中盤は泣き通しだった。
作者はいつからこの景色を思い浮かべて書き進めていたのだろう。改めてマンガ家ってすごい仕事だなと思います。
そして2017年にはアニメの2期が始まるとのこと。こちらもとても楽しみ!です!
ほんと落語というものへの入り口をこの作品にもらえてよかったなと思っています。

1,2巻の感想
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「春の呪い」1,2巻(完結)/小西明日翔

作者の方のTwitterやpixivをみていて気になって買った作品。
1巻を読み終えた時点でめちゃくちゃ続きが気になっていて、24日の発売日に即買いに行きました。

春の呪い: 1 (ZERO-SUMコミックス)

春の呪い: 1 (ZERO-SUMコミックス)

春の呪い 2 (IDコミックス ZERO-SUMコミックス)

春の呪い 2 (IDコミックス ZERO-SUMコミックス)

主人公の夏美と妹の春は、けして円満とはいえない家庭で、身を寄せ合うようにして生きてきた仲の良い姉妹だった。しかし妹は亡くなり、自分と妹の婚約者が残された――というところから物語がはじまります。
夏美にとっての春は「唯一の家族」だった。だからこそ、その妹を奪った存在として妹の婚約者である冬吾を疎ましく思ってもいた。しかし、妹が亡くなったことをきっかけに、「春と冬吾がデートで巡った場所を訪れる」という形で交際をはじめ、春への罪悪感に苛まれながらも、それぞれに、これが終わらなければいいと願い始めるところで1巻が終わる。

読んでいる間ずっと、つらい、おもしろい、でもつらい…という気持ちを行き来していた。
それは2巻になっても変わらないのですが、読み終えてみると、1巻の時点で丁寧にたてられたプロットがあったのだろうな、と感じました。
例えば、夏美の妹への依存的な愛情に対してダメ押しのように突きつけられる言葉などは、本当に辛くて一度本を閉じてしまったくらいです。でもそれを示唆する描写は冒頭にすでに描かれていて、そのように登場人物たちの言動の答え合せをしていくような展開もすごく丁寧だなと思いました。

物語としてももちろん、すごく面白いのですが、この『春の呪い』の魅力はやはり漫画であるところにある、と思います。
主人公の夏美は特に表情豊かに描かれているのだけど、その表情の動きと感情の齟齬が積み重なっていき、それがやがて行動に結びつくという展開にすごくぐっとくるんですよね。これはデフォルメされた表情ならではの演出だなと思います。
それからモノローグも魅力的。

まるで性交渉の直後のような感覚だったが
妙な後味の悪さもあった
それは死んだ元婚約者に対する罪悪感なのだが
そのときはよく理解できなかった

そして恐らくそのときが人生で初めて
他人に対して罪悪感を感じた瞬間だった
1巻p80

このモノローグがあるからこそ、冬吾という人の印象が決まるし、直接的には描かれなくても、やがて来る2人の関係の変化を示唆する伏線にもなっていると感じました。
漫画というおは絵と言葉と構成で出来ているものなんだなということを改めて感じる作品で、作者の今後の作品がますます楽しみになりました。

こちらで冒頭2話が読めます。
comic.pixiv.net

「A子さんの恋人」/近藤聡乃

新刊が出るたびにあれこれ言いながら読むのが楽しいシリーズ。
近藤聡乃さんのことは、昔NHKの番組で紹介されていた短編アニメーション作品「電車かもしれない」で知ったせいか、モノクロの、どこかおどろおどろしい作風、というイメージがあったのですが、エンターブレインからでていた「うさぎのヨシオ」でああ作者は漫画が好きなんだな、と改めて思い、そこからの「A子さんの恋人」でかなりイメージが変わりました。

作者が美大出身であるというということはもちろんこの作品にも生かされていると思うのだけど、メインの登場人物たちが「A子」「K子」「U子」「I子」「A太郎」「A君」などと名づけられているように、読む人が自分や身の回りにいる人を重ねて読みやすいお話になっている。
だからこそ、付き合うならA太郎かA君か、自分に似てるのは誰か、みたいな話で盛り上がるんだろうな、と思います。
しかもこの作品の登場人物は、ひとことで「こういう人」と言い難い人が多い。いいところもあれば悪いところも容易に浮かぶ(もしくは悪いところばかりに見えて、実はいいところもある)。
それがフィクションとしてはすごく新鮮で、でも身近にいるかも、と思わせるポイントなのかなと思います。
例えば単純にいい人として出てくる「田中君」がなぜ単純にいい人なのかというと、たぶん登場人物たちに興味を持たれていないからなんですよね(まあ実際単純にいい人な可能性もあるけども)。

物語は、「懐に入り込む男」であるA太郎と、「懐の深い男」であるA君との狭間で揺れる、主人公のA子、という構図を中心に描かれる。
ここでまず読者としてはA太郎かA君か、ということで悩むハメになるのですが、こっちは「断然A君でしょー!」(私はA君派)って決めてるのに、A子はいつまでもふらふらしているので、だんだん諸悪の根源はA子、みたいな気持ちになってくる。
そもそも2人はなんでA子が好きなわけ? とか酒を片手に詰め寄りたい。
そして話しを聞いているうちにA太郎のよさにも気付いてしまって、ああ人の色恋話って面白いな…というのが3巻まで読んだ印象です。
作者のインタビュー*1では、ラストはA子が「選ぶ」ようになると語られていたので、どう終わるのか、完結までやきもきしながら待ちたいと思います。

ただ上のインタビューを読んでひとつ意外だったのはA太郎の
「君は僕のことそんなに好きじゃないからだよ」
という台詞について、作者は

A太郎は、本当はA子に自分をもっと好きになってほしくて言ったんだと思いますよ。

と語られていたこと。
A太郎にそういう側面があったとは思わなかった!というのが正直なところだったので、これからまだまだ登場人物たちの、知らなかった側面が出てくるのかと思うと本当に楽しみです。
それでも私はA君派ですけどね…!(A君はA君で厄介な人だと思いますが)

A子さんの恋人 3巻 (ビームコミックス)

A子さんの恋人 3巻 (ビームコミックス)

「コオリオニ」上下/梶本レイカ

ネットで評判を見かけて気になって手に取った作品。
読み終えてしばらく余韻が抜けず、その表情や仕草からあり得た筈の可能性を拾いたいという気持ちになって幾度も読み返しました。

コオリオニ(上) (BABYコミックス)

コオリオニ(上) (BABYコミックス)

コオリオニ(下) (BABYコミックス)

コオリオニ(下) (BABYコミックス)

90年代の北海道を舞台にヤクザと警察が手を組むことになるサスペンスBLですが、雰囲気としては香港黒社会もの(ジョニー・トー作品など)に近い気がします。

1990年代、警察庁は相次ぐ拳銃事件の対策として全国的な銃器摘発キャンペーンを始める。全国の警察は厳しいノルマを設けられ、それをこなす為に警察がヤクザと手を組むという点数稼ぎの出来レースが横行した。(略)
〈あらすじより〉

このような背景があり、警察官の「鬼戸」は、ヤクザの「八敷」を情報提供者「エス」にスカウトする。
お互いの思惑に乗ったフリをしつつの騙し合いだったはずが、次第に共犯関係へと変化していく様子は読んでいてゾクゾクするし、その変化の過程に互いの心が遅れてついていくような描写がとても巧みで、八方塞がりの局面でも、この2人の幸せを願わずにはいられなかった。
最初は心を明け渡すことなく身体を繋いでいた2人の根底に共通するものが明らかになるにつれ、2人は「同じバケモン」であるお互いを唯一無二の存在として守るようになる。
けれど守るものができるということは同時に死を恐れぬ無敵ではなくなるということでもあるんですよね。
最終話を読み返すたびに、また最初から読んで別の未来を想像してしまう。
黒社会ものとしても、ラブストーリーとしてもすごく読み応えがあって、忘れられない作品になりました。

物語の大事な場面で繰り返される「エッタ」(北海道の方言で、鬼ごっこなどで「捕まえた」の意味)という言葉の、幼児を思わせる響きが読み終えてみるとひどく切ない。

「あげくの果てのカノン」1、2巻/米代恭

『あげくの果てのカノン』は私にとって、「自分の反応」に戸惑う作品だった。
物語を楽しむことにおいて感情移入というのは必須条件ではないと思うけれど、それでも読んでいる間は、主人公に対してある一定の印象をもっていることが多いと思う。
けれどこの作品の主人公「高月かのん」に対しては、2巻まで読んだ今もまだ、印象を決めることができない。

物語の舞台は、エイリアン「ゼリー」の襲来によって人々の生活が脅かされ続ける東京。“地上”では雨ばかりが続いていて、どうやら“地下”に暮らす人もいるらしい。
この近未来SF的な設定ともいえる世界で、描かれるのは極私的かつ偏執的な主人公かのんの恋だ。

相手は高校時代の先輩で、現在はゼリーと戦うヒーローとして活躍している。
かのんの働くケーキ屋をこの「境先輩」が訪れ、8年ぶりに再会して3か月――というところからお話がはじまるのだけど、
かのんの先輩に対する8年間の片思いは、気軽に感情移入できるようなものではない。
かのんは家に帰れば先輩の切り抜きをスクラップし、使用した紙ナプキンやコースターなどを収集し、ケーキ屋での先輩との会話は録音していてちゃんとバックアップをとる。そもそもケーキ屋で働き始めたのも先輩との再会を期待してのことで、でも先輩には奥さんがいる。
帯には「ストーカー気質メンヘラ女子」と書いてあって、確かにそういわれてみればそうだよな、と思う。
けれど、先輩を好きでいることについて

じゃあなんで、まだ好きかっていうと…
一種の道楽、みたいな…
好きでいることが?
ううん、違う。
もっともっと切実な…
ええと…なんだ…
…習慣、
生活、
生きがい。
〈1巻p99〉

こう語るかのんの言葉は、憧れを通り越して崇拝に近く、それを私はおかしいことだとは切り捨てられない。
高校時代の初恋で、こんなに素晴らしい人にはもう出会えない、と手がかりを求めてスタンダールの「恋愛論」を読むかのん。初めての「好き」という気持ちをどう扱えばいいかわからずに「恋愛論」を読んでしまうってめちゃくちゃ切実だしかわいい。
そんな風に、かのんとかのんの恋に対して、理解できる/理解できない、以前に好感のようなものを抱きつつ、でもあと一歩を踏み出そうとするかのんに対して、かのんがその恋/信仰を失ったらどうなってしまうのだろう、という恐怖心も抱く。
主人公が片思いし続けることよりも、恋が成就することよりも、その恋が失われることを恐ろしく思うってどういうことだ? というのが私の「自分の反応」に戸惑う点であり、この作品を魅力的に感じる理由なのだとも思う。

先輩はゼリーとの戦いによって幾度も傷つき、「修繕」をされるごとに容姿や生活習慣が変化していく。
2巻に入ってからは、そのように変化していく「神さま」に対する信仰を試されるような展開が待っていて、その最大の変化として描かれるのが主人公の希望そのものだったりする。
これは、その人をその人たらしめる基準はどこにあるのか、という問題でもあって、登場人物たちがここからどう行動するのか、まったく想像できなくて、続きがとても楽しみです。